タバケム激動の転職活動1
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激動の転職活動2

転職 といってもわたくしイバ本人は全く重みとかがなかったです。多分、学生時代のバイト探しみたいな感覚で 探していたのだと思います。で、いろいろ探すのですが、だいたいなにがやりたいかすら分かっていない若人 でしたのでなかなかポイントを絞れません。それでも一応2,3は面接に行ったりしたわけですが、なんというか、 逆に学歴というのがうっとうしくなりました。とある面接の場面・・
「あ、イバです、よろしくお願いします」「ハイよろしくね。・・えーと大学卒ですか」

「あ、一応。」「・・んーとさ、一応ウチでも採用は出来るけど、せっかく大学卒業してるんならもっといいとこ いけるんじゃないのー?」「・・・?あ、そうなんですかねぇ、でも・・」「ウン、ウチじゃもったいないよー」 「はぁ・・・」
こんな会話、今じゃ考えられないけど,当時はどこいってもこんな会話でした。だったら採用資格に高卒まで って 書いておけよ!ってほんとに当時は思いました。
そんなわけでなかなか転職先が見つからないままクリスマスという時期になりました。街のイルミネーションは わたくしの心を躍らせるものではあるけどそこに虚しさを感じたり。

無職 という立場にあったわたくし、しかしそこに妙な重さとか世間体とかはなかったです。正確にいえば たまに良心が痛み早く親の痛い視線から開放されたかったですがそれによって思い詰めたりすることは皆無でした。

しかし、仕事はせずともバンドはしてました。当時のバンドのメンバーのシンヤくんが当時働いてたのはJA(農協)で たまにわたくしの実家にも灯油を配達してくれていました。そんな彼が中心となったバンドでわたくしギターを かき鳴らし、唄を叫んでいました。そんななかJA祭りというのがあるらしくそこでライブ じゃなく「こんさあと」 なるものに出る羽目になりました。
そしていざ本番、周りは和やかなムードです、こんな場でパンクロックを演奏してもいいのか?とすら感じましたが まあやるにはやりました。結果オーライです。ギャラも頂きました。しかしこのとき客としてわたくしのとこの3男 と奴の知り合いが見てたらしいのです。その知り合いとはゆくゆく(この時代から3年後くらい)に同じバンド メンバーとして活動し、完全アマ指向なのに全国的な活動をすることとなるとは夢にさえ思っていませんでした。

そんな感じでイバの再就職の道はどこまでも気まぐれに曲がりくねっていきました。 そして一応いっておきますが、わたくしイバはその当時のバンド活動でプロになろうなんてことは微塵も 考えていなかったです。あくまで趣味、あくまで息抜き、まだまだパンクロックすらマイナーな時代でした。

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