タバケム激動の転職活動4
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激動の転職活動22

とりあえず地元に帰る ということで引越し作業というのがありますが、もうかなりのベテランでバンをレンタカー で借りて1日で終えました。
ま、荷物も一人分だったってこともあったでしょうが。実はわたくし3人兄弟の一番上っていう立場なわけで、家出を する前(大学の頃)すでに次男は愛知県に旅立ち、この頃ようやく仕事を始めた三男は三重の四日市まで通勤して いました。そんな三男も転勤で東京に行き、そのまま仕事を替えて現在はあっちで家も建てています。で、わたくし、、ナニをしてるんでしょうか、こんなイナカで。なんて思ったこともあります。 がっ!
それまで炊事洗濯家事は全てやってたわたくしにとって、改めて「実家のよさ」が分かりました。 しかしながら、それがたまに「うざい」ということもわかってきました。。後日それが「日常的にうざい」ことも わかりました。ま、そんな理由は機会があればまた後ほど。

次の仕事はとある建設会社の現場監督でした。「Sヤマ建設」というところにマツオさんの紹介で入りました。初めて 会ったときに上司になるであろう人に「まーとりあえず髪はなんとかしないとなー」なんていわれてやっと伸ばした 自慢(?)の毛を切ることになりました、当然ですが。が、ここに当時の逸話が。。せっかく伸ばした髪を いきなりばっさり切るのも忍びない ということで、どこか一部残したいなぁーなんてワンステ管理人と話をしてて、 ほんとは前髪か後ろを残したかったけど見た目で絶対ばれるので、モミアゲをロングのまま残しました。正確に いうとモミアゲの後ろあたり。。 別に誰かに見てもらいたいわけじゃなく、単純に自己満足でした。なので 気持ち的にはタトゥーを施すのと似たような気持ちでした。それにどこかでやはり反社会的な心意気があったのだと 思います。あと余談ですが、多分この頃に現在のわたくしの髪型の原型が出来たのだと思います。さらに余談を 語るとそのカットは「ニーロクカット」 という名称でわんすて内では通じるものでありますが、理由は聞かないで ください、多分スタッフ困ります、すっごくシンプルな理由なので。。>また脱線

そうして同時にバンドを程なく再び立ち上げ音楽活動に明け暮れるイバがいました。しかもいきなり地元に帰って きたのに赤丸急上昇な扱い、11月に新たなメンバーと会って翌年の1月にはライブ活動を開始しました。 そんななかで仕事として現場監督の見習いみたいなことをやっていました。年末はお決まり残業です。大切な クリスマスイブ当日も仕事でした、だいたい1月のライブもなんとか早退してライブハウスに向かいましたし。 そしてライブ終了、結果的には成功してたらしいです。が、わたくしイバは全く満足いかないライブでした。やはり 早すぎる活動 と思ってました。しかし、このライブから異様に活気付いて再びバンド活動に火が点りました。

ちなみに現場監督ってどうゆう仕事?なんて言葉が出てきそうで。これは仕事によっていろいろあるみたいですが、 わたくしの当時の仕事としては図面見ながら計画通りに建築を進める仕事なようです。公民館を兼ねた水質管理の 建物を建てていました。 監督っていうくらいだしいろいろあるけど、船でいうと「舵取り」です。で、その下に「舵」がいます。(これが 当時のわたくしたち)その動力であるエンジンが「下請け業者」です。

しかし、舵取り(監督)は別になにしててもいいのです。舵にさえ注意を図っていれば。ちゃんと仕事はこなして いました。でも、この舵(わたくしら)が駄目で。。 仕事しながら転職活動していました。現在じゃあたりまえ? きっと普通のことなのでしょうね。 ちなみに仕事は、真面目にやってると思ったら、上司がいなくなると「イバさん、この会社どうですー」 「ここ、残業ゼロっすよー」なんて会社では先輩だけど年齢は下のマキくんが異様に転職活動していました。 彼は今、どうしてんかなー。