タバケム激動の転職活動3
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激動の転職活動21

次に選んだ会社は、同じくトラック関係で金沢に本社のある「三和運輸」というところでした。主に建材を運ぶ 仕事でした。しかしやはり朝は早かったです。朝4時半にはコーポを出て深夜のFM放送の終わりあたりを 聞きながら出社、そのままトラックに乗って金沢港まで走ります。そうして8時くらいに到着して荷物の選別を して積荷をウィングタイプのトラックにフォークリフトで載せます。この作業がけっこう大変でした。無造作に 乗せるとそのあとの配送が面倒になるのでちゃんと行き先と配送順を考慮しながら積みます。この作業に慣れるのに 1ヶ月くらいかかりました。そのあとは順次に会社に卸していきます。会社に卸す場合は相手側の会社にリフトが あるので問題ないのですが、週の半分はいわゆる「現場下ろし」というのがあって、建築現場に直接納入というのが ありました。これがかなり大変で玄関や部屋の扉とか一人で持つのでいっぱいいっぱいです。それを何十往復して 納入するわけです。

時間的には朝が早い分、通常ならたいていは昼くらいに終わることが多かったです。これは重宝しました。が、 たまに3時とかまでかかるときもありました。1度経験ありましたが、高速降りるころに途中でトラックのミッション が入らなくなって会社の専属のメンテ担当が修理することがありまして、このときは夕方5時くらいまで仕事に なりました。きつかったですよ、なにせ起床時間が異様に早いので。
この仕事をしていた頃の通常の生活は、朝4時に起きて昼すぎに終了、力仕事も多かったので遅い昼食がてら コンビニで弁当とビール数本を購入して自宅で食べて、そのまま仮眠、夕方に再び起きて風呂に入って バンド練習や用事などこなして夜11時くらいから再び酒飲んで就寝。翌朝4時起床・・  という感じでした。 一日のなかに二日分のスケジュールが入ってるような感覚でした。こんな特殊的な生活が3ヶ月ほど続きました。

この「三和運輸」、土曜は隔週で休みでしたが、実際は土曜は「洗車の日」みたいな感じで、マイトラックを 洗車するのに出勤してました。そして昼は会社のなかで缶詰を肴に酒を飲みながらの昼食、そのまま帰宅 という 感じでした。なので気分的にはほぼ週休二日制みたいなものでした。
仕事はまあ一部きついこともあったけど、居心地は良い職場でした。しかし、入って3ヶ月くらいで「ふ」と 思いました。(毎朝金沢までベタ(下道)で行くのはいいけど、これ、冬になったらどうなんだ?下手したら2、3 時とかに起きて行かないといけなくなるのか?北陸の冬は厳しいしなー)なんて感じていました。それと、地元の マツオさんから頻繁に電話がかかってくることもあり、同時に地元の連れからも「いつ帰ってくんのー?」みたいな こともあり、(あ、そろそろ帰ってもいいかな)なんて思い始めてた頃でした。ちなみにバンドは、一応それなりに 良い方向に向かっていつつやはりどこか納得いかなくて、地元に帰ってもすぐにバンドで動けるようにあれこれ 手は打っていました。そのへんは抜かりはありません。>当然メインはバンド活動でしたので

一応運送関係にも引継ぎというのがあって、退職することを事前に所長に言って、円満的に終わろうと考えて いました。このへんの心の余裕があるところが前の会社とは違うところです。円満に終わろう と思う会社と どうでもいいわこんなところ と思う会社があることは事実です。この違いはきっと、理由がなければ辞めない という会社と、理由なんてないけど(たまにあるが)辞めてやる!って会社の違いなのでしょう。くわしくは わたくしも説明できません。きっとその時の本人の心意気がそう判断させてるのでしょうから。

そんな理由で時は1996年秋、相変わらず貯金もなく、ただ、バンドだけは名前も音もそのまま地元の岐阜に 持って帰り、再び新たな活動を始めました。とりあえずマツオさんの紹介で次の仕事は決まっていました。 この頃髪を伸ばしつつあったわたくしイバ、後頭部でひとつにまとめれるくらいのロン毛でした。もちろん ただ伸ばすだけではなく、このHPのわんすてっぷオーナーに相談していい塩梅にカットしてもらっていました。 そんなイバ、26歳になってました。

*現在の北陸地方は幹線道路も整備されていて、下手な裏道を走るよりバイパス道を走ったほうが効率はいいです、 きっと。