タバケム激動の転職活動3
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激動の転職活動20

結果的にダニの被害により睡眠不足で情緒不安定気味になっていたのかもしれませんが、あるとき仕事を完全に 破棄した日がありました。ま、今考えると会社側としてはたまったもんじゃない内容ですよね、しかしソレが 「あ、イバくんもそうかー、じゃあ仕方ないなぁー」なんて許される会社だったのです。おかげで辞めるときに 会社の事務所に車で横付けしても、同僚らは「イバさん、やっぱ辞めるんですか、しゃあないっすよねー」なんて 言われました。人間関係で辞めるわけではなかったし、今考えると彼ら(元ヤン)は、こんな俺らでも仕事を 与えてくれて給料もらえるんだ みたいな会社だったのではないでしょうか。更正スクールみたいなものです。 ただ、この会社の社長がそれを狙ってたかどうかは定かではありませんが。

ところで辞める(破棄する)と決めた夜、酒をあおり(へっ、明日は休日だ)と勝手に決めてたわたくし、その頃から 同じコーポに、何度も登場するヨシムラくんは三つ隣の部屋で同棲していました。その彼女とも面識もあり けっこう気さくな感じで会っていたので、たまにパスタなどを作ってくれてはわたくしの部屋に来てくれて 「イバくん、夕食食べた?食べてないならこれ・・」なんてけっこうお世話になりました。

学生時代にコンビニで出会ってからすでに5,6年のヨシムラくんとはほんと今でも遊ぶこともあり、なんだろ、 こういうのが生涯の友人っていうのかな?>誰にゆうとんやろか そんな彼は「タバコNOケムリ」でもちょこちょこ登場してて、バックファイヤー炸裂の初代CR-Xから韋駄天 トヨタスターレットに燃調付けていたのに、この頃なぜ今?っていうAE86レビン(内装全くなし)に乗って いました。たまたま休みが合って「よっしゃ、じゃ敦賀の海で一服しよやー」ってな感じで二人して86で敦賀へ 向かいました。途中でタバコ吸ってて「灰皿は?」って聞くと「あ、足元」  車内に水がたまったときに抜く ためのドレンが灰皿となっていました。それくらい内装は完全に無い車でした。 その頃、当時のバンドのステッカーを作成してたんですが、もう貼りたいばっかで敦賀の帰りに峠の警告の 表示板に張りました。どうせすぐ剥がされるだろう と思いながら。

それが、10年経った今でもまだ貼ってありました、我驚愕です。

なにせ、会社辞めたのには変らないわたくしイバ、遊ぶのもそこそこにすぐに就職活動を始めていました。ただ、 前(斎川運輸)の仕事をしてた頃から、一番初め(建設機械リース)にいた会社の営業さんからちょくちょく電話が あり、「最近どうよ、そろそろこっち帰ってこない?」と、どうやら建設会社の人から求人を頼まれているらしく 「いやー、まだこっちでやりたいことがあるんでー」などと言葉を濁してきました。 今思うと、なぜ今回こんなに短絡的に仕事を辞めたのかというと、この電話があったからかも知れません。イバの 心のどこかに(まあ最悪仕事見つからなかったら実家帰ってマツオさん(最初の会社の営業の人)の言葉に甘えれば いいしなー)なんて考えがあったのかもしれません。というか、ありました。ちなみにこのマツオさん、現在は 運送会社を立ち上げて社長さんをやっています。

なんて軽く脱線をしましたが、程なく次の就職先が決まりました。