タバケム激動の転職活動3
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激動の転職活動17

そんな感じでわたくしの基本ワードである「SEX,DRUG,R&R」の補てんもどこかが消えつつあればどこか が急速に上昇したり言葉が変ったり でもいつまでも全てに満足は出来ない生活が続きつつありました。
当時の福井には、岐阜にはまだ浸透してなかった無料雑誌というのがありまして、大半はお店の情報、クーポン、 地域の情報 というのがメインな雑誌がコンビニや飲食店に置いてありました。もちろん、今では多分全国どこでも ある無料の情報誌です。そのなかにジャンルは問わないなんでもありのコミュニティ広場 みたいなコーナーがあって そこで毎回気になっていたモノと接触しようと試みました。福井市の東に位置する大野市からの投稿で「アンダー グラウンド」「サイケ、ノイズ、パンク」などと書いてありました。かなり気になったわたくし、電話して話を 聞いていました。そしたら福井市内にそういう店があるということで来店することになりました。そこは・・
暗い照明、鳴り響くパンクロック(ノイズ的なもの)、サイケな飾りの中を漂う酒とタバコの匂い、まさに異次元 でした。そんなかなり怪しい店でしたが声を掛けてみればベタベタの福井弁(笑)、すぐに打ち解けて音楽の道が 広がっていきそうな感じがしました。
しかし、さすがに法的にやば過ぎる奴もいたので二度とその店には行かなかったイバです。その代わりにメンバーを 探しているイバにとってものすごいドラマーが現れました。それがキタガワくんです。どうやって知り合ったのかは もう忘れましたが、彼はハードロック専門、わたくしパンクロック専門なので、まずはどういう音楽をやりたいのか 説明するごとくコーポに呼んでNOFXというアメリカのバンドを聞かせました。
「・・!?ドラム、すげえやん!」 当時の彼にとっては、やはりセックスピストルズの影響もあるのか「パンク =下手くそ」というイメージがあったらしいです。でも、当時すでに違います。しかもやはりドラマーはドラムに 興味があるらしく「へぇーこれツーバス?ツインペダル?」 一応ワンバスでもダブルを踏めば出来るよね  なんて会話してましたが・・。この会話わかる人は絶対にバンドマンか楽器屋の店員レベルですね。。
そんな感じで心機一転新しいバンドを始めることになりました。それが1996年の1月です。わたくしにとっては 「最後のバンドだ」と感じていましたし、そのくらい気合もありました。
ドラムのキタガワくんとは同い年でマジで気が合う なぜかたのしく今後数年はつるんでいきました。 しかも彼は自宅(大野市)にマイスタジオを持っていてそれはすごく快適で、音もそこそこ、周りは田んぼだらけ だったので深夜でも爆音鳴らしてもオッケイ、そんな環境は素敵でした。
新しいバンドで、このスタジオでレコーディングをして完成したその後くらい、ベースのハタ兄貴は鯖江市に住んで いまして大野に行くときにはウチによってもらって大野に向かいました、R33スカイラインで。たいがい平日の夜が 多かったけど、わたくしなにせ平日は夜でも長距離仕事から帰ってこれなかったのもあって、日曜昼間の練習が 多くなった頃、大野まで向かうときにたまたま川沿いでイベントやっててハタさんと「じゃ、よってくか」なんて。 鮎祭りみたいなことをやってました。そこでイバは鮎の塩焼きをみっつ購入して即座にキタガワに電話、 「ビール用意しとけー」。当然スタジオの前で一時酒盛りでした。
あと、駅前でフェスティバルとか港でロックとかいろいろありました。ケーブルのテレビ局がいつもいましたねー。 FMの波にも乗りましたね、当時。

が!全て福井県内のみの出来事でしたので。。(一部北陸3県)
今思うと閉塞的です。だから逆に県内においては派手なことやれば一目置かれるようになるみたいでした。 そんなことを当時わたくし把握していたかどうかはわかりませんが、ま、同じバンド仲間のなかでは 「イバっていう岐阜出身のやつがさぁー」なんて会話もあったようです。内容はどんななのかは知りたくもない ですが・・。結果的には楽しいアフター5が、常にイバを刺激してくれて充実していたのは間違いないです。 そんなことをやりながら金を稼ぐために長距離走ったり、重量物を運んだりしていました。

。。そしてこの半年後にわたくし職場を離れました。ただ、決して仕事が嫌になって辞めたわけではないのです。