タバケム激動の転職活動2
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激動の転職活動 10

そうした季節柄の仕事も一段落すると次は本業の布団の販売とレンタルです。一応本業は販売らしいですが、 それは店でやることで、大半はレンタルのほうでした。「布団のレンタル??」なんて思うかもしれませんが、 こんな仕事もあるのです。例えば学生の部活の合宿、体育館などで泊り込みで合宿をする場合とか、コテージでの リネン関係とか、お寺での集団修行など・・これなんかは(あ、そうか)と思いました、わたくし自身学生時代に 永平寺で学習してたので。
布団の持ち運びは思ったより大変でした。お寺の合宿で100枚分といわれればあの長い階段を使って運ぶのです。 しかも見た目よりも実際は布団ってのはかなり重いのです。もちろん羽毛布団なんてのはあまり要望がなく、 ほとんどが真綿の布団でしたから。唯一(よかったなぁー)って感じたのは、某女子高の部活の合宿の布団の 貸し出しと回収でした。みなさん汗臭さに敏感な年頃ですのでそれなりに対処してるみたいです。わたくし特別に 匂いフェチとかじゃないけどあれはアレでうーん、初々しい青春の甘酸っぱい香り みたいなもので、禁断の花園に 足を踏み入れたような、なにかいけないことをしているような青春時代のドキドキ感が感じられました。
あと、「関係者以外立ち入り禁止」っていう看板をよそ目に(だって俺関係者なんやもーん)みたいな 気分で寺なり高校なり市民会館なども堂々と車で入る行為に快感でした。よく考えればそれが仕事の一環だから それはそれで普通の事なんですが。。
そんな蒲団屋で仕事をして、心にも時間も余裕が出来て、ただまだお金には余裕がなかったわたくし、一応 バンドがやりたくてそこらじゅうの楽器屋にメンバー募集の張り紙をしていました。同時に宅録もしてました、 今後のバンドですぐに活用できるように。
そしたらケータイが鳴りました。あ、当時ケータイはようやく自由化がされて、でもまだ高いイメージでした。 でも新しいもの好きのイバは今でいうテレビのリモコンほどのアナログのケータイを持っていました。カタカナと 数字しか打ち込めなく着信音も3種類、もちろん通話料金も今の何倍なのだろう・・単にステータスだけで 持ってました、一般の人はほとんどの人が持ってなかった時代です。
「もしもしー」「あ、メンバー募集をみたんですけどー」 女の子が公衆電話から電話してきました。 とりあえず音の趣向が同じなので会うことになりました。駅前の西武で待ち合わせです。

「あー電話した子?」「はいー」15歳の女子高生でした。このころイバ24歳、妙な気が起きないはずがない、 なんて思っていませんか?実はほんとになんにも妙な気はなかったのです、いや、マジで。本当に!信じて! 「とりあえずウチきて話そうかー」ってことでわたくしのコーポに向かいました。しかしこの頃は地元岐阜でも 少数派で、もちろん福井で当時の「メロコア」好きなんていう女子高生がいるとは思わなかったんでそれだけで 一応感動してました。テレビをつければドリカムとか長島監督とワンズとか、ザード、そういう時代でした。 しかしこの子、音楽的にすごくわたくしと意見があって実に楽しく会話が弾みました。でも、肝心のバンド・・ 彼女は楽器をやったことはなく、単に似たような音楽が好きなわたくしに電話をしてきたみたいで。。 「じゃ、また連絡するわー」といいながら彼女を駅まで送っていった記憶があります。


そんなイバ、毎日毎晩大好きなSNUFF、NOFX、オフスプリング、ペニーワイズ、ランシド、バッドレリジョン、 などなどパンキッシュな洋楽を聴きつつ毎日を送っていました。