タバケム激動の転職活動1
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激動の転職活動7

どうやら出戻りで1年半ぶりでしょうか、建設機械リースの会社に戻りました。同僚も相変わらず、上司も 相変わらず、まさにぬるま湯の状態です。変ったことといえばレンタルされる機械を保守する業務じゃなく 普通に営業でした。ただ、この営業、やはり配置薬や市役所とかとは比べ物にならないくらいすごく反応があって それが楽しかったのです。さすが今世紀最大級の公共事業(といいながら21世紀にも続いてる徳山ダム建設)、 これが終わればこの地域の土木、建設関係の会社は半分は消えるでしょう、多分。だからいろいろだらだらと 長々建設をやってるのではないのかなぁー と,たまに思います。
ま、そんな中に紛れて再びこの会社で就職したわけです。そんななか、小型移動クレーンや玉掛けなるものを 取得させられました。が、実はこれが後々すごく役にたつなんてのは想像すらしていませんでした。 あと、生まれて初めてマイ手帳を持ちました、仕事関係のを把握するための手帳を。これが真に分厚いもので、 なんだかんだで捨てられず今でも残っています、中を覘くとそれは懐かしい想い出です。

この頃、たまたま所長が接待をするってことで、わたくしも強引に呼ばれてカニ専門店に出かけました。カニ、 といえば北陸でしょ、ただ、わたくし、カニには全く興味なかったのです。実をいうと今でもそうですが。 身を食ってもそんなに。。ミソなんてとんでもない、いらない。。なんてイバでしたが、なぜかこの接待のときは 「ミソ食べたいです」と。接待なのに・・若気の至りですね、きっと。 で、食ったミソがまた美味い!わたくしが食した昔のミソはなんだったんだ?って思うくらいに。

で、なんだったんでしょう、ミソもわたくしも。接待って言葉は知ってましたが、理由はずっと理解できません でした。しかしこの夜、初めて接待というものに参加してなんとなく(あー、表面は綺麗だけど中が腹黒ってのは こんな感じなのかなぁ)なんて感じたイバであります。魚でいうとサヨリかよ と。

そんなことも経験しながら、バンド活動しつつこの会社で働いていました。あくまでメインはバンド活動、 生活するため、バンド活動を維持していくためにお金をかせぐ=仕事という、現在のわたくしの基本的な考えが この頃出来つつありました。この仕事やってる合間にわたくしイバ、24歳になっていました。 関係ないですが、イバの誕生日は・・10/9です。。水前寺清子やジョンレノンと同じというのが、 救われるような救われないような・・。